くろふねが出かけたらアゲるスレ

くろふねが出かけたときに書き込みます。質問等ありましたら気軽にコメント書いてってください。

愛宕駅⇒茨城県坂東市國王神社まで歩いてみた

今週は週頭からシステムダウンで30近く対外インターフェースとの再送調整をしていてものすごく大変でした。
本稼働しているシステムでないとはいえ、あったことない方々とメールでの調整ってかなり神経使うんですよ。
精神的にまいった感じ。

今週末もまた発生するんじゃないかと怯えつつ、居ても立っても居られない状況なので歩いてきました。

今回伺ったのは茨城県坂東市。学生時代に某赤い自販機の飲料水メーカーの配送補助のバイトしていたんで広範囲で配達に行ってます。
坂東市ですが、西暦900年代に平将門の本拠地となった場所といわれているところです。
平将門の終焉の地が國王神社という場所。バイト時代に目の前は通ったことあるんですが入ったことはなかったので行ってみたいと思い、歩いてきました。


新船橋駅


今回最初の目的地は東武野田線愛宕駅
東武野田線に一番早く乗るためには電車で船橋駅まで行けば朝2の列車に乗れます。
できれば始発に乗りたい・・・そうだ東武野田線の駅まで歩けばいいのでは!
ということで、うちの方から一番近い新船橋駅まで歩きました。



始発15分前に着いたのですが・・・まだ開いていない。
JRだと15分前に改札開けてくれるもんだんですが。まあ東武鉄道だからか、東武野田線だからなのか。
結局、10分前に改札開きました。


愛宕駅


6時前に愛宕駅に到着。
愛宕駅ですが東武野田線梅郷駅清水公園間が高架化されて、間の野田市駅愛宕駅が高架の駅舎となったんですよ。
ただ野田市駅にしても愛宕駅にしてもまだ工事中。
特に野田市駅は1面2線で営業していますが、旧線路を撤去した後にもう1面2線のホームができるんだとか。

ここら茨城方面に向けて歩きます。


愛宕駅⇒芽吹大橋まで


愛宕駅からは茨城県道・千葉県道3号つくば野田線利根川渡って矢作の交差点からは茨城県道20号結城坂東線)を10数キロは1本道なんですが、駅出て国道16号の方に来たら、なんとルートインができているじゃないですか。
昔はビジネスホテルなんてなかったのに(野田市キッコーマンの本社があるのでビジネスホテルあっても不思議じゃないんですけどね)。時代も変わったな。



千葉県道7号我孫子関宿線との交差点の山田うどん、私がバイトしたときからあるんですよね。息長いなあ。
船橋の自宅近くにあった山田うどんはなくなったのに。


芽吹大橋


1時間位で千葉県野田市茨城県坂東市の境である利根川の芽吹大橋に到着しました。
私がバイトしてた頃となんらかわらない。



芽吹大橋ですが、車道橋と側道橋が完全に分離しているんですよね。
どっちもかなり立派なトラス橋。

側道橋も歩行者・自転車が通るだけの割にかなり広いんですよ。もしかして大昔はこの側道橋のほうが1車線の車道橋で、交通量が増えて橋増設したのかなあと思ったのですが、昔は車道橋の方しかなく、1985年に側道橋もできたらしい。




橋の中心あたりで千葉県野田市から茨城県坂東市となりました。



橋の中心を過ぎて茨城県よりの方、なんかきれいに塗装されているんですよね。なんででしょうか?



橋から下流の方をみるとなんか北海道のような風景が。
この草を刈ってロール状にしたものなんていうのか調べたら「ロールベールラップサイロ(ロールベールサイレージ)」というらしい。
なんでも刈った草をロールにしてラップすることにより草を発酵させることができ、サイロのような施設が不要になるらしい。


芽吹大橋⇒辺田三叉路まで


芽吹大橋を渡り、矢作の交差点から茨城県道20号結城坂東線の変わる(県道3号は右折する)のですが、交差点からちょっと行ったところに昔よく配達に行ったリカーショップとみやまというお店があったのですが、かなり前に閉店した模様・・・



1時間半歩いたところに「茨城県自然博物館」なる看板が出てきました。
私が来ていた頃はなかったなあ。

よく考えてみると、昔このあたりを右折した大規模な工事現場の事務所の自販機に配達しに行ったことがあったような気がしますが、もしかするとそこだったかも。ただ当時は整地しているだけだったので何作っているのかもわからない状況でしたが。



自然博物館の看板のところから5分ほど歩いたところに大型車が停められるローソンがあるのですが、ここ昔はドライブインじゃなかったかなあ。
あと、ここの向かいくらいにホットスパー(コンビニ)岩井矢作店というのがあったようなきがするんですが今はないですね。



昔はなかったけど、ラーメンショップができています。
食べたいけど11時から営業。いまは8時前。



愛宕駅から2時間ほど歩いたところにあるふじストアというお店があるのですが、ここもよく配達に行きました。
写真では切れている左側の駐車場に自動販売機が数台おいてあったんですが、いまは画像に写っている範囲にしか自販機ないです。



その向かいにある岩井ゴルフセンターにも配達行きましたが、どう見ても廃業している模様です。


辺田三叉路


岩井市街地の入口に辺田三叉路というところがあるのですが、そこにある喫茶店が「散茶廊」。
結構なネーミングです。昔からありますね(建物は変わってると思う)。

この三叉路のところに昔はサンクスがあったのですが、ファミリーマートに変わってもなく、マッサージ店になった模様。


辺田三叉路⇒延命寺まで


県道は三叉路を左に進み市街地(昔だとビクターの工場前の通り)に向かうのですが、私は市街地に行きたいわけではないので三叉を真っすぐ進みます。
ぶっちゃけ言えば市街地の裏側の通り。
このあたりも配達に来ていたはずだけど、どこへ行ったのか記憶ないです。

途中、カラオケがあったんですが、盾構え的にハローマックだなあ。
たしか昔この通りにハローマックあったような気がした。

カラオケ店の先から細い道通っていくんですが、googleマップ通り進んだらなんか田んぼの畦とか進んでいたw


延命寺


愛宕でてから2時間45分で延命寺に来ました。
私、思いっきり勘違いしていたのですが、平将門の胴塚があるところが「延命院」というところなんですが、そこがここかと思っていたら全く違うところ(先に出た辺田三叉路の近くの模様。といっても1.5kmある)らしい。きちんと調べたらそっちも行けたのにね。

ここのお寺は平将門の拠点の鬼門除けとして建てられた寺院らしいのですが、西暦940年に藤原秀郷平貞盛らに焼かれた際にこちらに移されたとのこと。
さらに1445年に本堂、薬師堂、写真の山門を建立したそうですが、その後火災にあってこの山門だけが残ったそうです。
薬師堂は再建されたそうですが再度火災で消失し、仮堂が作られた状態とのこと。

山門ですが茅葺きなのが洒落てますね。



これが薬師堂の仮堂なのでしょうか。かなり荒れ果てた感じが。
賽銭箱には九曜紋(平将門の神紋)が入ってますね。


國王神社


愛宕駅から歩いて丁度3時間。平将門終焉の地國王神社に着きました。

終焉というのはどういうことかというと、西暦940年に平将門の討伐軍である藤原秀郷平貞盛連合軍と戦うのですが、討伐軍3000騎に対し平将門軍400騎であるものの当初は平将門軍が圧倒していたのですが、徐々に劣勢になり陣を移動する途中で流れ矢が額(首とも)当たり戦死してしまいます。

その後首を取られ、馬に乗せられた遺体が着いたのがこの國王神社の地であったらしいです。

こちらの國王神社ですが茅葺きなんですよ。なかなか珍しいですよね。
さらに御扉が開けてあってナカ伺うことができるんですよ。コレも珍しい。

私自身は信仰しているわけではないので、写真撮らせていただいたお礼を幾許か納めてさりました。


島広山



國王神社から延命寺の方に戻って島広山を訪問。
ここが平将門の本拠地石井営所跡なのだそうです。


石井の井戸跡


島広山から延命寺に向かう途中にちょっとした緑地帯があるのですが、それがこちらの石井の井戸跡。
古代から湧水が湧き出ていて、人々がココに居住したそうです。

平将門との関わりは(坂東市のサイトから抜粋)

『将門が王城地を求めてこの地を見回っているうちに喉が渇いて水が欲しくなった。その時、どこからか老翁が現われ、大きな石の傍らに立っていた。翁はその大石を軽々と持ち上げて大地に投げつけると、そこから清らかな水が湧き出し、将門と従兵たちは喉を潤すことができた。
将門は不思議に思い、翁を召して「あなたはどのようなおかたなのでしょうか」と尋ねると、翁はかしこまって一首の歌を詠んだ。
久方の光の末の景うつる

岩井を守る翁なりけり
と唱じると姿を消してしまった。

将門はこの翁を祀るとともに、この大地に城郭を造ることに決めたのである。』

とのことです。
ストーリー的にこの地の岩井の由来はココの井戸が由来なんでしょうね。

一通り史跡は見たので帰ります。


仲町十字路


バスで愛宕駅へ戻るために岩井の市街地へ。
ここ仲町十字路という場所なんですが、洒落た円形の信号機が。これなんなのかと思ったら国王神社の方から

とのことです。
伊達に洒落ているわけではないようです。


新町十字路


戻ってきた一番近いバス停が「岩井警察署前」だったのですが、とりせん(北関東近辺に展開するスーパーの名前です)で時間つぶしたものの、あまりにも時間空いてしまったのでちょっと歩いて来たところ、新町十字路で5分前ほどになったのでバス待ったのですが、ここのバス停の近くにあった石材店。これらのキャラクタ使って大丈夫なんですかね?権利的にどうなのか私はよくわからないです。

時間通りにバスが来たので乗車し、愛宕駅に戻りました。


愛宕駅⇒國王神社への経路


こんな感じです。


愛宕神社


愛宕駅に戻ってきたものの、そのまま帰らず、野田市街地を散策してきました。

愛宕駅の由来はこの愛宕神社なのですが、縁起は書いてあったけど忘れました。
この神社、明らかに囲われてますが、神社の側面等、かなり秀逸な彫刻が施されてるんですよ。
それで有名なのかな?

私、こっちの方に住んでいたのに初めてきました。


野田郵便局


ここも初めてきた、いや通ったことはあると思うけど結構大きい。


千秋社(旧野田商誘銀行本社)


こちらのモダンっぽい建物、千秋社という会社の建物です。
千秋社とはキッコーマン持株会社キッコーマンの会計業務や不動産管理なんかを行っています。
清水公園の所有・管理もこちらで行っています。

ちなみにキッコーマンだけでなくコカ・コーラボトラーズジャパンホールディングスの主要株主でもあります(おそらく昔、野田にあったボトラーの利根コカ・コーラから転換されたんだと思います)。

こちらの建物ですが、その昔は野田商誘銀行本社でした。
商誘は醤油にちなんで名付けられた銀行です。野田の醤油醸造業者によって設立された銀行です。
その後千葉銀行と合併し千葉銀行野田支店となりました(現在の野田支店は野田郵便局と千秋社との中間にあります)。


キッコーマン本社


千秋社のとなりにある(厳密には何件か建物あるんで隣ではありませんが)のがキッコーマンの本社。
本社ではあるものの、本社の機能は東京本社(西新橋)にあるそうです。

ガラス張りなのがいいのですが、夏は暑そう。


かねこや


千秋社・キッコーマン本社の前の通り(流山街道)を左折し野田市駅へ向かう手前にあったお店。

なんなんでしょ。このボロボロの服は。
洋品店であるらしいのですが、きちんとした洋服はあるんでしょうか?

あまりにも凄かったから写真撮ってしまいました。


キッコーマン野田工場(キッコーマンもの知りしょうゆ館)


このタンクを見ると野田に来たなあと思ってしまうのですが、キッコーマンもの知りしょうゆ館は御用蔵とともに新型コロナウイルスの関係で休館となっています。

で、昔は野田市駅降りるととても醤油臭かったのですが、今はそうでもないんですね。
もしかしてマスクしているから?いや、そんなんじゃ防ぎきれないほど醤油臭かったんだけどなあ。


野田市駅


バス降りて30分くらい巡って野田市駅似到着。
愛宕駅のときに書いたようにこちらも工事中です。

そういえば昔、野田市駅の下だか東武野田線の下だかに、キッコーマンの醤油のパイプラインが敷設されているとの話聞いたことあるんですが、それっと本当なんでしょうか?

キッコーマンの工場は線路挟んで北東と南西にあるのでパイプラインあったほうが確かに効率は良さそうですが。


愛宕駅野田市駅への経路


地図2本立てなのも珍しい(私のブログでは初めて!?)。


東京チカラめし鎌ヶ谷




昼食は帰りに新鎌ヶ谷に寄り、東京チカラめしで「自家製唐揚げ定食(辛味みそ)」を食べました。

ご飯はおかわり自由らしいけど普通に1杯だけにしました。
昔、東京チカラめしは米がまずい時期があったけど、数年ぶりに食べた感じは普通です。

東京チカラめし、今となっては全国で東京に1店、大阪に1店、新鎌ヶ谷の3店舗しかないらしい。


ファイターズタウン


歩き足りないのか、新鎌ヶ谷から自宅まで歩くことにしました(かなり遠い)。

途中にあるのがファイターズタウン
北海道日本ハムの二軍の拠点です。



麺処ゆきち


更に家に帰ってから2時間後に歩いて北習志野の麺処ゆきちへ。

「冷たい煮干しそば(醤油)」食べようと思ったけど山芋が食べられなかった。書いてあって良かった。
ということで「うめ塩らーめん」食べてきました。
刻んだシソがいいですね。



今日はほんと結構歩いた。46kmですって。

東京チカラめし 新鎌ヶ谷店牛丼 / 新鎌ケ谷駅北初富駅初富駅

昼総合点★★★☆☆ 3.3