奥新川から仙台へもどってきましたが、まだ12:00。せっかくJR東日本ならどこにでもいけるので、行ったことないところにしましょう。
先の地震で被災した松島方面に出かけました。
仙台駅
松島の方へ行く仙石線は仙台駅の地下ホームとなります。
さらに仙台駅が始発ではなく、あおば通りという仙台の1つ先が始発です。
そうそう、仙石線は仙台駅の他の路線と異なり直流電化なんですよ。
松島海岸駅
松島海岸にくるのも久しぶりです。
ま、2年くらいだと思いますが。
駅前を眺めてみましたが、地震被害は多々あるみたいですが、津波の被害はなさそうですね。
ただ、途中の本塩釜付近、陸前浜田付近は津波の被害があったようで、線路近くまで船が押し寄せてました。
で、仙石線ですが、2011/6/18現在は松島海岸駅の隣にある高城町で折り返しています。
JR東日本パスでも乗車できるので松島の先に行きました。
そうそう、代行バスを使う際はsuicaは使えませんので注意を。
特に仙台から行く場合、松島海岸でsuicaを通してしまうとそこから先のきっぷは別途買わなければなりません。先に行く場合はきっぷで行きましょう。
野蒜駅
東松島市にある野蒜駅まできました。
津波で線路は埋まってしまってます。
見づらいと思いますが、駅の向こうの家ではクルマが瓦礫の上に乗り上げられてしまってます。
駅舎の外観は大きな破損はないものの、中の方はモノが崩れている状態です。
時計が2:47を指しています。ちょうと東日本大震災が発生した時間帯ですね。おそらくその時間に電気が止まったのでしょう。
野蒜駅周辺
野蒜駅向かいは川ですが、その川べりにある家が、土砂の流出で傾き、今にも川に落ちてしまいそうです。
川を渡った最初の建物ですが、2Fは無事そうですが、1Fは無残な状態となっています。
鉄筋の建物は原型自体はとどめてますが、鉄筋でないものは原型すらわからない状態です。
看板の残骸にもあるように、ここは余景の松原と呼ばれる松原が広がっていましたが、今は瓦礫の山が広がってしまってます。
松については残っているものの、海水の影響か、松が枯れ始めてます。
大半の家は、この写真のように基礎を残して流されてしまっていると思います。
そんな中にも津波なんてなかったかのごとく、花が咲いていたりもします。マツバボタンでしょうか?
こんな状態ですが、これでも片付けた後だと思います。その証拠にある程度まとまった瓦礫の周りには白い紐で囲われていますので。
発生後は一体どんな状態だったんでしょうか。
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あまりも惨く、無残であり、言葉にもなりませんでした。
ここまで酷いと大変だと思いますが、早く復旧することを祈ります。
仙台駅
松島から仙台へ戻りました。新幹線で帰宅するだけです(写真は乗車した列車ではありません)。
東京駅
東京駅には20:30頃到着しました。
その後は魂麺により帰宅しました。